美人(かわいい)女子の生きづらさについて:おじさんの観点から

もろもろの相談業を通して、人と接する仕事をしている中で、美人(かわいい、キレイ)と言われてきたであろう女性とキャリアや人生について話すことがあります。

テレビやなんかでよく言われるように、見た目のメリットが幸いしてなのか、たしかに特有の「望みの高さ」がある方もいらっしゃいます。

が、そこには確実に、生きづらさのようなものが見え隠れしていたりして…。

そんなことを、おじさんの視点から書いてみたいと思います。
いろんなご意見があるでしょうが、これも一つの観点として捉えていただければ幸いです。

生きづらさ1:性的な目で見られがち

男性と話す彼女たちを見ていると、よく独特な伏し目がちの目を見ることがあります。
下を向くというか、目をそらすというか、気づいてしまったなにかを隠すような表現とも言えますが、これはどういうことなのか?

多くの場合は、男性からの性的な視線や意図に気づいたサインだと思われます。ある程度仕方ないし、なれてるし、あからさまに言うほどのことではないけど、なんか気づいちゃったな…みたいな。

男性としては、そのへん気づかれていることにもう少し意識してもよいかもしれませんね笑。

とにかく男性からの誘いが多い

そんなこんなで、彼女たちは周囲の男性から下心満載な眼で見られることが多々あります。

一般的な人たちからは「ちやほやされて、利用しながら喜んでるんでしょ?」と思われがちですが、どんな人でも、それが続けば普通になるし嫌気もさしてきますよね。

美人であるということが、利点でもあると同時に、有象無象を引き寄せてしまうということです。そして、相手からの勝手な要求であるにも関わらず、断るのが大変。

断ることになれてしまうと「お高く止まっている」なんて、嫌な表現をされてしまうこともあったりと、お誘い事情はなかなか大変なようです。

「そんなつもりじゃないんだけど、どうするかなー」という先程の伏し目にもつながっていきます。私としても、そういう話をたくさん聴くと、ちょっと申し訳無さがでてきます笑。

モテナイ男性を勘違いさせてしまうと大変

これも関連することですが、いわゆるモテない男性たちは女性に対して免疫がありません。女友達が少ない人も多い。そこにもトラップがあります。

後述しますが、いわゆる美人女性の中には、女性コミュニティが辛くなっている人も多くいます。そのため、男性の中にまじるほうが楽と思い、いざコミュニティに入ってみるのですが…。

免疫のない男性は、美人女性とお話ができてしまうと勝手に「運命」を感じやすかったりするわけです。そういう漫画も多いですよね。そうなってしまうと、別の目的で集まっているのに、居づらくなってしまったりして。

大事になると、そのコミュニティ全体の争いにもつながっちゃりして。

生きづらさ2:理想を重ねられがち

他の女性からは、羨ましがられる。

人は、自分がもっていないものには、ひかれやすいというのはいつの時代もかわらないこと。

それが本人の願望に近ければなおさらです。美人の友達といると非常に気が休まるという範疇ならばいいですが、それが続きすぎると「わたしの内面はみられてないのかも」という寂しさにつながることもあるわけです。

普通のことが意外に捉えられてしまう

他の人が普通にやっていることですら、意外に捉えられてしまうということもあります。「えー、こんな安い服きてるの?いがーい」とか「◎◎ちゃんにそれはにあわなーい」とか。

「相手の理想のように見せていかないといけないのか?」という疑問がでてきてしまったりすることもあるでしょう。

生きづらさ3:嫉妬の目を向けられがち

羨ましいも、いきすぎれば、嫉妬の対象になってしまいます。
何事も、自分が持っていないと感じたものに対しては、人間は特殊な感覚になるものです。

やっかみの対象になる

どこがというよりも全体に対して嫉妬が始まってしまうと大変です。

目立たないようにしていれば、「気取っている」と言われ、意見をはっきりいうと「高飛車」と言われ、男性と話していると「男にこびている」と言われ。

何を言っても、何をやっても、重箱の角を突かれて攻撃対象にされてしまいます。

生きづらさ4:自分が美人だとは表現しずらいが、そこをフォーカスされる

美人というのは、主観的な評価なので、絶対的な指標があるわけではありません。
なので、いままでの項目のような自体が起こっていても、おおっぴらに宣言はしずらい。言ってしまったら、また叩かれるループにはいってしまうし、相談もしずらい…。

さらに、見た目の評価が、仕事上活かされる結果になることあり、純粋なメリットと受け止めつつも、複雑な思いをすることもあります。

生きづらさ5:理想を高くするしかなくなる

このように、一般人からは見えずらい悩みも多く経験するので、求めることの幅が違ってくるのもある意味当然とも言えます。これが、世間的に感じる「独特の望みの高さ」につながっているのかなと。

どんな男性とつきあうか?どんな友達とつきあうか?どんなキャリアを歩んでいくか?
見た目を利点として、どの程度活かしていってよいのか?(どんな認め方をするか?)

見た目のことは一切きにしないでほしい、という人もいるでしょうし、そこはメリットしてうまく使っていきたい、と思う方もいるでしょう。

いずれにせよ、大ぴらには、決して語れない生存戦略がそこにはあるわけです。

ただ、私が感じる傾向として、選択の幅が広いがゆえに、選択に対して優柔不断になりやすいケースもあるように感じています。幅が広くなりすぎて、決断が難しくなってくるというか。

望んでいることは当たり前に「理想のパートナー」との幸せ

とはいえ、そんな彼女たちも、望んでいるのは理想のパートナーとの幸せであることがほとんどです。

キャリアや生活が云々というのも、もちろんありますが、根底の満足ポイントは、やはり「自分の中身をちゃんと受け止めてくれるパートナー」との最適な生活です。そこは、どの世代にしても、どんな生活をしていようとあまり変化のない部分です。

まとめ:彼女たちもまた、試され続けている、という観点

ここまで、かわいいや美人と言われる女性たちの「生きずらさ」について男性からの視点で書いてみました。

私の意見としては、彼女たちもまた、世間から常に試され続けているということです。他の人とは違う質や観点で、相応の悩みがあるわけです。

「美人だから得だよね」っていうことを、100%受け入れて最大限活用できるメンタルの強い人は稀なのかなと思います。